停滞しているのも何なので、三分割でいきましょう。
豊久は戦死、国久らは1554年、晴久により誅殺。勝久は1578年、上月城で自害。
一案としては1571年(60歳)病死。
一案としては1601年(60歳)病死。
1579年に謀反を起こし、翌80年に鎮圧され死亡。
親貫を入れるより、むしろ彼を養子にとった田原親宏(????-1579病死)を入れた方がいいのでは?
田北紹鉄も1579年に離反して、翌80年に逃亡中討死。
吉弘鑑理とその孫の統幸がいるから、鎮信(鑑理の嫡男、統幸の父:????-1578戦死)も入れては?
大友家は、謀反や離反が多かった。条件イベントが幾つかあってもいいかと。
1553年府内の乱(1月)一万田鑑相、宗像艦久、服部右京助らが謀反。 1557年秋月文種、筑紫惟門らの離反。 1565年立花鑑載の離反。 1567年(68?)高橋鑑種・立花鑑載・秋月種実らの謀反。 朽網鑑康の離反(島津と隣接→朽網独立)を入れるなら、息子の鎮則(????-1587処刑)も付けたい。
大友晴英1540-1557(自害)を入れてあげるべきか。 どっちにしろ、サンプルの陶独立はあまりにも不適当。 ↑ここ「改善の余地あり」くらいにしたらどうでしょう? 気持ちは分かるけど…。 せめて、『プレイヤーが大内家を担当していない』ぐらいないと。
せめて、大友晴英を迎えろよ、陶隆房(晴英の晴を受けてこその晴賢だし)。
どうでもいいが、鹿児島城は1602年建築。1550年に清水城から内城に拠点を移している。
### 大大名家以外は、以下国毎にまとめます。###
以下追加できるならば
以下追加できるならば
以下追加できるならば
開始時点の当主は草刈 衡継(?-1568)1531年因幡守護職、1559年隠居。
神楽尾城は1538年に落城、1543年以降の経歴不明。尼子氏に敵対しておりシナリオ開始時点まで勢力を保っていたかは怪しい。(某戦国SLGでは1509-1548と設定されている)
いずれにせよ今のコピペ生没年よりは少し早い年代にずらすべきか。
忠長の後は忠長の子貞佐(?-1584)、貞佐の子行佐(?-1592)、行佐の子忠佐(?-1621)の順で継いでいます。忠佐は朝鮮の役の時代の人物です。
三浦家は1548年に尼子により滅ぼされ、1559年に尼子から所領を奪い返したので、検討の必要があるかもしれません。
いっそのこと、貞勝兄の三浦貞広(生没年不詳)を出して、初期は尼子の従属下というのも有りかもしれない。
以下追加できるならば
イベントでやるなら、松田領→宇喜多領に併呑。
既に勢力が上回っていた宇喜多家に攻め滅ぼされただけなのでイベントは必要ないかと。 イベントを作るならむしろ直家による家臣暗殺か伊賀久隆の離反を。
岡山城は宇喜多秀家が建造。当時はまだ石山城。
初期では松田家に従属か臣従。
イベントでやるなら、金光領→宇喜多領に併呑。
庄家、石川家はどちらも元は細川氏の備中守護代家(石川家は庄家の家臣ではない)。
1540~1541年尼子家が備後・安芸を攻めた時、備中の石川家、細川家、三村家などは大内方。一方1540年庄家は尼子方?
その後三村家は毛利家を頼り、1553年以降庄家の一部、石川家、備前上野家を縁組みで取り込んだ。このときは清水家はまだ石川家家臣。
1574年以前は父備後守宗則(1567~1570の間まで生存?)、兄備後守宗知(出家、月清入道、1582年自害)が高松城主であった可能性がある。
隆重、景広とも生没年不詳。 ただし、景広は隆重の嫡子なので、生没年に差をつけるべき。
隆重は村上武吉(能島村上家)の叔父で、1540-45年頃の武吉の家督相続争いで武吉方を支援しています。
景広は関が原後に細川氏の小倉城築城にかかわり、1627年73歳で死去と言われているようですので、1554-1627でしょうか。
生没年不詳ということ以上には、よく分からない。
吉充は1575年の木津川合戦にも参加しているので1519年よりはもう少し後ろの生まれでしょうか。
通幸を庶子で通総の兄、としている資料が多いかと思います。名前も通年よりは通幸(之)としているほうが多いかと。
母が平岡房実の娘、河野通直(1587没)の伊予退去にも付き従ったとも言われていますが…。
謀反を起こしたのは実弟の大野直之(シナリオ内では伊予宇都宮家の家臣にいます)です。 * 平岡房実 1513 * ちなみに、関が原のときに伊予で河野家復興を図ったのは子の平岡直房(1551 * 曾根某はどちらも調査不能。 * 忽那 通著 ?
親守とその孫親次がいるなら、志賀親度(親守の子、親次の父:????-1587処刑)も入れといては?
波多家の配置は?龍造寺とのバランスからも、壱岐と肥前の居城は経路で繋ぐべきでは? 盛没後の相続争いで、波多家の勢力は急速に衰えていた。
三兄弟は盛の弟の子。
冬尚(松法師丸)は1517年(異説あり)に家督を継いでいるので、生年はそれ以前。 サンプルシナリオの1509年が妥当か。
胤信→隆信の改名イベント(1551年)を入れるといいかも。
継承順位は0では?
鍋島清房(直茂の父で龍造寺隆信の重臣)を入れるべきでは? 生没年不詳(1510~70くらいか。)
鍋島直茂(1538-1618)の登場時期は1554年の初陣時に繰り上げた方が良いかも。
龍造寺四天王の五人が遅くに登場するのは、龍造寺の勢力拡大が1570年頃からだから(大友が斜陽に入るのに合わせて成長した)。
細かいことを言えば、1551年10月、大内義隆が討たれると大友氏の助力を得た家臣・土橋栄益により隆信は追放されます。 下蒲池家の庇護下にいた後、1554年に復帰したようです。
松浦隆信(平戸松浦家)が惣領家(相野浦松浦家)の松浦親の飯盛城を攻め落としたのは1563年。
五島氏への改姓イベント(1575年以降)を用意するといいかも。
(菊池家重臣?)
(菊池家重臣?)
(菊池家重臣?)
能運?
甲斐 宗運 改名イベント?
相良 義陽×上村 頼孝
ここで、島津臣従なので、イベントで宿敵解除しておくべきかもしれない(肝付が島津の攻撃に耐えられるとも思えないが・・・)
時尭と久時の継承順位の見直しぐらい?